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ジパングとネーデルラント

2009-10-22 | 01:23

10月22日 木曜日

次回のUPの情報が先日出てましたが、その中に長崎江戸の町風景が紹介されてました。
そういえば昔習ったような、名前だけなんとなく憶えてましたが
糸割符ってありましたね。

江戸時代の日本における生糸輸入の方式なのですが
特定の商人集団に独占的輸入権と国内商人への独占的卸売権を与えていたそうです。

つまりUPの情報にあった貿易商人ですよね。
当時日本において最も重要な輸入品は、中国産の生糸だったが
輸入に関し外国商人が値段決定の主導権をもってて利益を独占していたため、
これを抑える必要があった。
京都・堺・長崎の特定商人に糸割符仲間をつくらせ、
その糸割符仲間に輸入生糸の価格決定と一括購入を許し、
それを個々の商人に分配させた。
当初は3ヶ所ですが後に江戸・大阪を加え5ヵ所となった。

UPで紹介された町と一致しますし、こういう方式になるのかもですね。

その他にも密貿易今で言う密輸ですがこれが頻繁にされてたそうです。
日本は銀の大量産出国であり銀は通貨でも使ってなく、
日本での価値は安かった。
日本は生糸や銅、そして中国は銀を大量に必要としていた事から、
ヨーロッパ(南米植民地の銀)、日本、中国と中継密貿易が莫大な利益となったそうです。

近距離交易で莫大な利益がでるっておいしかったでしょうね。
日本が近代的生糸生産工場つくったのは、明治時代初期ですからそれまでは続いたそうです。

次回UPに備えて繊維取引はあるからいいけど、
やっぱり貴金属取引あったほうがよさそうですねぇ。。






ネーデルラントの交易の歴史

このゲーム始めてますますネーデルに関心がでてきてるのですが、
初心者の頃から縫製修行で稼いでいたので、交易ほとんどしてませんでした。
ネーデルはどんな交易してたのか気になって調べてみたら
面白かったので簡潔にメモ。

正式名称ネーデルランド連邦共和国
有名所ではホーラント州、ユトレヒト州など7つの州の共和国です。
特にホーラント州が人口、経済すべて突出していたため他よりも重要であった。
日本でよばれるオランダはこのホラントのポルトガル語が由来

政治家バルネフェルトネーデルラント連合東インド会社を設立、
当時ネーデルを構成する行政各州が、互いに資本を出し合い
ともに連合している世界初の株式会社といわれる。
会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など
今で言う国を代表する権限を一民間会社が与えられていたことになります。

ジパングと直接関係があるのはこっちですね。
この会社が成功したのが黄金時代の始まりです。
そして東南アジアに進出してポルトガルから香辛料貿易を奪い、
香辛料貿易を目的としポルトガルや各地のイスラム諸王国と戦った。
香辛料貿易はゲーム内でも儲かりますね。

しかし黄金時代にあっても、ネーデルの貿易額の2/3はバルト海貿易
残り1/3の半分も地中海貿易であった。
つまり、ネーデルの富の源泉はヨーロッパ内であって、海外植民地は、
維持費がかさむだけで大した利益をもたらしていないのが実情であった。
ブラジル産の砂糖や染料、銀を全ヨーロッパに売るばかりでなく、
バルト海域で買いつけた穀物を地中海域で売り、
木材や塩、塩漬けにされた樽詰めニシン等がヨーロッパ中を販路とした。

このバルト海穀物交易について知らべてみると
13世紀から始り「母なる貿易」と呼ばれているそうです。
これはネーデルで最古で最初の交易だったとされ、
パンとなる穀物を供給し、他航路の船舶と交易、漁業と製造業を勢い強くさせたとあります。

バルト海域のハンザ同盟との対立が深まりますが、後にハンザの船を上回るまでになります。
バルト海から輸入していた穀物は主にネーデル国民が消費していたのですが、
やがて全ヨーロッパで穀物の需要があがると、ネーデルは再輸出として全ヨーロッパに運んでいた。

つまりバルト海穀物の世界の運び屋となっていったのです。
その後バルト海地方の都市は塩やワインを必要としており、ネーデル商人が
生活に必需な商品を双方向で中継交易したりなど海運業が盛んになりました。
こうしてバルト海交易をほぼ独占したのでした。

バルト海側は交易やっていなかった訳じゃなくネーデル船を使っていたそうです。
ネーデルは安定して木材をバルト海から輸入できるのでそれを使って商船建造していた。
他と比べネーデル船は輸送費が安かったのと、大型の穀物専用船が貨物を満載して、
安全な航路を通って少ない乗組員で短期間に素早く繰り返し航海していた。

リスク分散させる為に、複数の商人が共同で船を借りたり、
船を抵当に入れて航海資金を借りたり、海上保険を導入したりと、
総交易額の3分の2を稼いだのですから商売が上手だったのですね。
当時すでにアムステルダムは新しいエルサレムとなっていたので、
ユダヤ人の知恵なんでしょうね。

食料品取引とってバルト海穀物交易再現も楽しいかもと思った一日でした。






父は定年近いのですが急な豹変振りに恐さをおぼえています。
今まで家ではビール1本。飲みに行くのも月2,3回
最近はなんだか暴走してるみたいに週2回は飲みに行きます。
帰りはAM3時とか。。軽く聞いてみてもこれが”男”とか、
この年齢はみんな一緒とか意味不明です。
定年間近になると何かが違うのでしょうか。
飲んだ日は記憶無くすくらいまで飲むし、真面目だった性格も
今じゃどうだっていいとか投げやりな感じ。
何か死に急いでるように見えてつらい今日この頃です。。





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