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ネーデルラントとジパング

2009-10-17 | 01:26

10月17日 土曜日

12月15日UPの El Oriente ジパングが楽しみでしょうがないこの頃。
RankUp

本日ようやく造船Rank13になりました。Rank12から急に長く感じたのは気のせいかな@@
まぁ急いではいないのでちょっと休憩してから再開するつもりです。

また愛用船ブログに残そう。
ガレアス

海事で活躍中のガレアスです。まだ本格的に収奪できないので、耐砲撃装甲つけました。
史実ではあっという間に活躍しなくなるのですが、魅力的なスタイルで素敵です。




ネーデルラントとジパング

ネーデルラントで始めた訳はイスパニア支配の時代から海洋帝国まで発展した経緯が
毛織物工業や最高水準の造船技術ら自らの産業だという事が日本に似てるのと
この時代から日本との関係が一番深いからですが、
歴史詳しくないし興味があったので調べてたら
面白かったので簡潔にメモ。

ネーデルラントが東インド会社設立したり
東南アジアで技術的に優れたネーデル船で圧倒し、
ポルトガル、イスパニア植民地奪っていた円熟期に、
極東つまり日本への航路開拓の計画が出来、5隻の船団ができたようです。
その中にはヤンヨーステンという人物等ネーデル人の他に、
あの有名なアルマダの海戦に参加していたイングランド人アダムスという人物が参加していた。
この頃のネデとイングは同盟国なので親しく、ネデの船団にアダムスが参加した形。

これら船団は中国経過して日本に辿り着くのですが、掌握されたり、はぐれて引き返したりと
最後にはアダムスの乗る船1隻のみ漂着という形で辿り着いたみたいです。

当時日本では秀吉が亡くなってて秀頼補佐5奉行の時期です。
彼らは家康に信用されて江戸城に招かれます。
その後なんと家臣にしちゃうんです。
アダムス三浦按針と名乗り江戸幕府唯一の白人旗本になり、
ヤンヨーステンは江戸城近くに屋敷もらった事からその周辺が今の東京中央区の町名、八重洲の語源となり残っているんです。

当時徳川幕府はキリシタン発令や鎖国時代の中で長崎の出島1箇所とはいえ、
唯一最後までネーデルに貿易が許されたのは
彼らが存在したからだったとは知りませんでした。
そしてどうして彼らは家康に信用されたかというと高い造船技術もっていたからだそうです。
家康の求めに応じて日本の船大工使って120tの帆船作ってますが、
その後フィリピン総督のイスパニア人が遭難して日本に救助された後
メキシコに帰還する際、その船で太平洋横断に成功したという逸話があります。

なんだか単調な造船修行してる私に元気くれた情報でした。

当時の交易品 
ネーデル(生糸、織物、胡椒、砂糖、ガラス製品)
             ↓↑
日本(銀銅、硫黄、刀、美術品、工芸品)特に有田焼は珍重

日本と中国は敵対していたので彼らが朱印船に乗り、中国商人と貿易していた。
年末UPの時代背景は本能寺の変後ってことなので、鎖国はしてませんね。
彼らに会えると嬉しいな。
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